それはどう考えても、岡本太郎著「自分の中に毒を持て」しかないので、
前回に引き続き、オカモトリョウが登場するのでした。
あなたは常識人間を捨てられるか。
こんな刺激的な副題と、太郎さんの眼光するどい表紙にぞくぞくしながら
読み始めると、いきなりこれまで家庭や学校でさんざん言われてきた事とは
正反対のメッセージにひっくり返る。
「人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらす
べきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを
失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて
身動きができなくなる。
人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。
それには心身とも無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、
いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。
今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。」
とにかく全編この調子で、ページをめくるたびに自分の常識がこてんぱんに
叩きのめされ、いつしかOKAMOTO’Sがデビューする前からオカモトリョウに
なってしまっていたのだ。
才能は人間を縛る。
この本、名言過多なので、今回は自分としてもこれから考えざるをえない
「芸術」と「才能」という部分にしぼって見てみたい。
「自分はあんまり頭もよくないし、才能のない普通の人間だから何も
出来ないんじゃないか、なんて考えてるのはごまかしだ。
そういって自分がやらない口実にしているだけだ。
才能なんてないほうがいい。才能なんて勝手にしやがれだ。才能のある者
だけがこの世で偉いんじゃない。
才能のあるなしにかかわらず、自分として純粋に生きることが、人間の
本当の生き方だ。頭がいいとか、体がいいとか、また才能があるなんてことは
逆に生きていく上で、マイナスを背負うことだと思った方がいいくらいだ」
「芸術」って何? 「芸術家」って誰?
たしかに、何かひとつのものに人並み以上の才能を発揮してしまうと、周囲は
その人にそれ以外のことを期待しなくなり、結果的にその人は、それしかしなくて
いい人となって、他の可能性は閉ざされてしまう。
それが本当に豊かでふくらんだ「芸術家」の、「芸術的」な生き方なのだろうか、
ということを太郎さんは言っているのだと思う。
前出の引用にあるように、芸術は絵を描いたり小説を書いたりする小手先の技術の
ことではなく、才能があろうとなかろうと自分として純粋に生きようとするその生き方
のことじゃないのか。
何も書いてなくても、作ってなくても、ほんとうに自分として純粋に豊かでふくらんで
生きている人は、きっとその人自身が作品に見えてしまう。
それが「芸術家」であって、「芸術」がそういう生き方のことだとすれば、やっぱり
生き方(芸術)に才能はいらないのだ。
太郎さんも本人が唯一の作品なので、あの絵画も彫刻も壁画も太陽の塔も、ただの
付属物ということらしい。
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)
青春出版社
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