なんにもできないから、なんでもできる。

困ったときは岡本太郎ということで、また「自分の中に毒を持て」を

読んでいる。

だいたい困っているので、ほとんどずっと読んでいるわけだ。

 

何が「芸術」で、誰が「芸術家」なのか。

 

前に紹介したときも、このことについて語ったけど、これがこの本の

核の部分なので、もうちょっと考えてみたいと思う。

「芸術といっても、なにも絵を描いたり、楽器を奏でたり、文章を

ひねくったりすることではない。そんなことは全くしなくても、素っ裸で、

豊かに、無条件に生きること。

失った人間の原点をとりもどし、強烈に、ふくらんで生きている人間が

芸術家なのだ。」

太郎さんは、すぐ後のページでもう一度、繰り返す。

「ぼくは芸術といったが、それは決して絵・音楽・小説というような、職能的に

分化された芸ごとや趣味のことではない。いま世間で芸術と思っているのは、

ほとんどが芸術屋の作った商品であるにすぎない。

ぼくが芸術というのは生きることそのものである。人間として最も強烈に生きる

者、無条件に生命をつき出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを

強調したい。」

一芸とか、多芸とかではなく。

 

世間的には、一芸に秀でた人を芸術家として仰ぎ見ることになっているが、

どうも芸術というのは、そんな単純なものではないようだ。

たとえば、挑戦できることが100種類あったとして、4つ目で成功できた人は、

もう残りの96種類に挑戦する気にならないかもしれない。

逆に、100種類挑戦して100回失敗した人は、ひとつも成功しなかったおかげで

100種類も「できた」のだ。

この場合、どちらが豊かでふくらんだ芸術家の人生なのか、自分は即答できない。

ただ、少なくとも興味深いのは、なんにもできないから、なんでもできた後者の方である。

 

演劇しかできない人になってしまうのか。

 

自分もこの先、変に演劇ができるようになってしまうと、どんどん無条件に

生きる豊かさから遠のいていって、人間的に開いていくのか、閉じていくのか

わからなくなりそうな気がしている。

今まで太郎さんの言葉を頼りにいろいろやってきたはずが、いつのまにか

「反芸術」をめざしているようなこの矛盾と付き合っていくしかないのかと思うと

ひどく複雑な気分になって、また「自分の中に毒を持て」を読むことになるのだ。

 

 

そういうわけで、この先、何度も出てきます。

こちらは新装版。

 

自分の中に毒を持て<新装版> (青春文庫)
岡本 太郎
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