それは1994年、ナイロン100℃の「1979」だった。
なんと、24年前の新宿シアターアプルである。
しかし、当時の自分は演劇とはまったく無縁。
それにも関わらず演劇のチケットを自分で買うなどという行動に至ったのは、
1993年に再生したYMOの影響だったのだ。
音楽的興味で演劇を見る。
YMO再生の余波で、テレビでYMOの懐かしい映像や、P-MODEL,ヒカシュー、
プラスチックスの映像までニュースで流れたりで、モロに感化された自分は
当然のごとくハルメンズ、ゲルニカ、ヤプーズ、一風堂などを順々にたどって
いくわけだから、ケラさんの有頂天も無視することなどできるわけがない。
電気グルーヴのオールナイト・ニッポンに突然ケラさんが登場したり、
そのころケラさんがやっていたロング・ヴァケーションも聴いてたし、
もちろんケラさんが「ナイロン100℃」という劇団をやっていることも
知っていた。
そんな自分の頭がテクノ/ニューウェイヴ真っ盛りの1994年、
ナイロン100℃の新作「1979」の宣伝文句は「ゴキゲンな青春テクノ活劇」。
ついてるね。買ったね。行ったね。
客演で東京サンシャインボーイズの西村雅彦さん、梶原善さん、伊藤俊人さんが
出てたり、内容的にも忘れがたい体験になった。
でも、やっぱり演劇を見に行くというより、ロング・ヴァケーションのライヴを
見に行くような感覚ではあったのだ。
それまで演劇のイメージは、かったるいものだった。
当時の自分にとって演劇のイメージは学校の行事として連れて行かれた記憶しか
ないせいか、とにかくかったるいものでしかなかったのが「1979」を見て、
パッと楽しいイメージに変わったのは間違いない。
かといって、そのころは見るものといえば完全に映画がメインで、演劇を見に
劇場に通うという習慣とはその後20年も縁がなかった。
(ナイロンの芝居はビデオで見てたし、ケラさんの戯曲は読んでたけど)
そうして、ずいぶん長い間、演劇とは細々とつながっていただけだったのに、
いつのまにかテレビも映画もあまり見なくなって、演劇ばかりの人生になって
しまったのはどういうわけか。
自分の場合、これを見たせいで演劇をやろうと思ったとハッキリ言えるような
作品はない。
でも、ハッキリ言わなくていいのであれば、やっぱり「1979」にさかのぼる
しかないだろうとも思う。
ところで、あのときYMOが再生してなければ「1979」を見た可能性が
ほとんどないとすると、脱兎,X・Y・Zooの起源はYMOということになり、
これから脱兎,Y・M・Oooに改名しないこともないこともなくはない。