「コンピューターおばあちゃん」とおおかみ男の共演。

恐るべしユーチューブ。

30年以上前にNHKの<みんなのうた>で見てインパクト絶大だった

「コンピューターおばあちゃん」をひさしぶりに見てみたいなと思ったら、

すぐ見れちゃうんだもんなあ。

しかも、坂本龍一プロデュースだったことを初めて知った。

宇宙船の中で青島幸男のいじわるばあさんみたいなルックスのおばあちゃんが

巨大なコンピューターの前でカクカク動くシュールなアニメーションが、ほぼ

記憶どおりだったのはちょっとうれしい。

それはともかく、ひさしぶりに「コンピューターおばあちゃん」を聴く気に

なったのはただの気まぐれではなく、「おおかみ男のフローチャート」の台本に

書き足そうと思ったからなのだ。

小説版では、夜行列車内のラウンジカーと呼ばれる車両の入口に初期の

シンセサイザーみたいなボタンがいっぱいあるコーヒーの自動販売機が

置いてある。(あの紙コップにコーヒーが注がれるやつ)

その自動販売機の前におばあちゃんが立っていたら、自分には「コンピューター

おばあちゃん」にしか見えないだろうということに気づいてしまった。

そもそも作品自体が「何を見ても何かを思いだす」という構造を持っているので、

記憶の引き金があらゆるところに仕掛けられていて、後で自分がその仕掛けに

はまってしまうという現象が発生するのだ。

すでに追加した「鉄塔 武蔵野線」、「九マイルは遠すぎる」、「お化け煙突」の

シーンもその例である。

 

はっきり言って、夜行列車なんて乗ったことはない。

 

だからこそ、自分の個人的な経験なり体験を幾重にも忍び込ませて、絵空事と

現実を接続する作業が必要になってくる。

ところで、実際に書き直した台本はこうなった。

 

ラウンジカーに寄ろう。

意味もなく座っていよう。

無意味さの開放感に酔いたい。

ラウンジカーにつくと、入口にあるシンセサイザーもどきの自動販売機の前で

おばあさんがテキトーなオペレーター風にいろんなボタンを押している。

あの押し方から察すると、砂糖多め、ミルクなし、コーヒーホットで氷ありみたいな

よくわからないものが出てきそうだが、その姿が昔NHKの<みんなのうた>で見た

「コンピューターおばあちゃん」にそっくりなのがうれしかった。

マザーコンピューターの上を行く、グランドマザーコンピューターがあったとは。

 

「おおかみ男のフローチャート」は最後の方こそシリアスだけど、基本は全編に

伏線を張り巡らせたエンターテインメントなので、ほとんどこんな感じです。

 

 

歳をとらない初音さんが「コンピューターおばあちゃん」を

歌っているというこの皮肉がいいね。

 

初音ミク sings ニューウェイヴ