ヘミングウェイ「何を見ても何かを思いだす」の悲劇。

「おおかみ男のフローチャート」の中で、ヘミングウェイの短編小説

「何を見ても何かを思いだす」について触れている箇所がある。

これも小説版では、ほとんどタイトルがちらっと出てくるだけだったが、

台本ではもう少しばかり内容に踏み込んで、おおかみ男の心理とからめる

ようにした。

「何を見ても何かを思いだす」は、とても短い小説ながら、一度読んだら

長く印象に残りつづける話だ。

何でもすぐに忘れてしまう息子と、何かと忘れたくても忘れられない父親の悲劇。

(まだ読んでない人は、ここからネタバレ注意です)

息子が書いた小説が表彰されたことに対して、父親は言う。

「とにかく、素晴らしいストーリーだ。ずいぶん昔に読んだ小説を思いだしたよ」

これが、本当に父親が昔読んだアイルランド人作家の短編をタイトルすら変えずに

そっくりそのまま剽窃したものだったのだ。

「何を見ても何かを思いだす」は父親がその事実に気づいたところで悲劇的に

幕を閉じる。

でも、「おおかみ男のフローチャート」の中で、おおかみ男はこの小説が

もっともっと長い小説だったらどうなっていただろうと考える。

それは必然的に「何を見ても何も思いだせない」という小説になるはずなのだ。

どんな忌まわしい記憶も、(個人の記憶に限っては)やがてそうなる運命にある。

悲劇の記憶が、記憶の悲劇で塗り変えられるのだ。

「何も見ても何かを思いだす」は、ヘミングウェイの三男をモデルにしているらしい。

どこまで事実に基づいているのかわからないが、この作品が短編小説として完全に

仕上がっているのに未発表だったことを考えると、何か想像させられるものがある。

もしかすると、ヘミングウェイは自殺することで、悲劇の記憶を強引に消し去った

のだろうか。

 

 

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