「おおかみ男のフローチャート」の後半に、モーツァルトの手紙編という
のがある。
引っ越し前におおかみ男が売らなかった唯一の本が「モーツァルトの手紙 上下巻」
で、おおかみ男は「モーツァルトの手紙」を読みながら、モーツァルトと自分の人生
を同時に語ろうとするという、なかなか傍若無人な展開になっている。
その「モーツァルトの手紙」の上巻と下巻の間に、おおかみ男が「ピアノに
向かうモーツァルト」という未完成の肖像画について語る箇所がある。
「おおかみ男のフローチャート」の表紙に載っているこの絵だ。
作者はモーツァルトの初恋の人アロイジアの夫、ヨーゼフ・ランゲ。
この肖像画は数あるモーツァルトの肖像画の中でもひと際ミステリアスで、
異彩を放っている。
「ピアノに向かうモーツァルト」という題名にもかかわらず、ピアノも、
手も、背景すら描かれていない。
この肖像画のモーツァルトは、ただうつむいているだけなのだ。
この絵を描き始めてからランゲが亡くなるまで相当な年月があったというのに、
どうして未完成に終わったのか、その理由には様々な説が入り乱れて、結局の
ところよくわかっていない。
それにしても、よくこんなからっぽな表情が描けたものだと思う。
モーツァルトの視線の先には、自分の手も、ピアノもなく、どこを見ているのか
まったくわからない。
しかし、おおかみ男はここでひとつの仮説を思いつく。
「この肖像画は本当に未完成だったのか?」
ランゲは最初から、時とともに消えてゆく絵を描いたのではないか?
もし肖像画が完成していたのだとすれば、その後、ランゲが絵に手をつけなかったのは
当然ということになる。
そう考えると、モーツァルトの一見からっぽなまなざしが、何を見ているのか
わかってくる。
ピアノが消え、手が消え、背景も消え、やがてすべてが消えたとき、そこに
目に見えないものだけがのこる。
音楽だ。
こんな感じのことを小説版でも書いているが、仮説の部分は台本で書き加えた。
ランゲがほんとに「モーツァルトがいなくなっても音楽はのこる」という絵を
描いたのだとしたら、あの肖像画は信じられないくらいの名画だと思う。
いつの日か、どこかの展覧会で、何にも描かれていないであろうあの肖像画を
見てみたい。
でも、あの肖像画がすべて消えるのは何十年後か、何百年後か、消えてみるまで
わからないのが残念極まるところではある。
小林秀雄氏も例の肖像画の写真を大事にしていたそうだ。
やっぱり、あの絵だけはどうしても引っかかるものがある。