戸川純、恐るべし。

ひさしぶりに横浜の神奈川芸術劇場に行った。

美輪さんの「黒蜥蜴」のときは、ホール。

ハイバイの「もよおす。」は大スタジオ。

今回は、サンプルの「グッド・デス・バイブレーション考」で中スタジオと、

3回ともなぜか別々の会場になったおかげで、神奈川芸術劇場の内部構造には

くわしくなった。

 

現代の「家族」「死」のあり方を問う現代版<楢山節考>

 

チラシのあらすじは、こうなっている。

「閉ざされた地域に暮らす一つの家族。貧困家庭の六十五歳を過ぎた人間は、

肉体を捨てることを強く望まれる社会。

元ポップスターの父と、介護と子育てに疲労する娘と孫が直面する現実とは?

別の集落からやってくる孫の嫁、隣人、謎の男が加わることで、家族の形が

少しずつ変化していく。

彼らはどのように生きていくのか?」

ほんとのことを言うと、個人的にはあまり見たくない話だ。

それなのに、なんでわざわざ横浜まで出掛ける気になったのかといえば、

戸川純さんが十数年ぶりに出演する舞台だからなのだ。

大正解なキャスティング。

 

あらすじだけ見るとものすごく重そうな話だけど、もちろん表現まで重い

わけではなく、ところどころに笑ってしまう部分がある。

なにより、戸川さんの強烈な存在感とユーモア感覚が、姥捨てや子殺しが

当たり前という強烈な話に拮抗して、救いのなさの抜け道になっていた。

作・演出の松井周さんが戸川さんを選んだ時点で、この芝居は成功を

約束されていたようなものだというくらいのマッチングぶり。

戸川さんが歌いながら出てくる最初の登場シーン、そして、最後の人生から

退場するシーンで戸川さんがゆっくり暗転するなか自分の席の横の通路を

歩いていったときは、ちょっと震えた。

 

安楽死は安楽なのか。

 

こういう芝居を見ると考えてしまうわけだ。

福祉を究極まで突き詰めると、どうなるのか。

安楽死が奨励される世の中になったら、自分はどうするか。

もしそうなった場合、自分の意思というより、周囲の無言のプレッシャーで

安楽死するしかないようにされそうな気がする。

結局、最後は自ら山に入っていくのと同じわけか。

それなら周りから早く安楽死しろと思われる前に安楽死したくなるな。

しかし、安楽安楽と言うわりに、ぜんぜん気分が安楽じゃないのはなぜなんだ。

こう考えていくと、どんどん人生が短くなりそうなので、このへんで。

 

いつか読みたいと思っていて、

まだ読んでない本の代表選手。

 

楢山節考 (新潮文庫)

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posted with amazlet at 18.05.11
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